学童野球という趣味

2026年9月21日

息子たち(小学5年の兄、小学2年の弟)が野球を始めた。

すると、なぜか僕も野球を始めていた。

少し前まで休日の朝といえば、遅く起きて「ああ、昨日は飲みすぎたな」などと呟きながら、コーヒーを啜りスマホを眺め、「さて今日は何もしないぞ」と決意する時間だった。

それが今では早朝から帽子をかぶり、運動靴を履き、弁当と水筒を持って家を出る。

健康的すぎる。

河川敷でボールを拾い、気がつけば「ナイスボール!」などと言っている。

人生とはまったくわからないものである。


学童野球とは「息子の習い事」ではなかった

始める前は、もう少し気楽なものだと思っていた。

息子たちをグラウンドまで連れていく。

「じゃ、頑張ってこいよ」

そう言って僕は近所の喫茶店へ消え、アイスコーヒーでも飲みながら本を読む。

夕方になったら迎えに行く。

息子たちが以前通っていたスイミングがそんな感じだったから、まあ同じようなもんだろうと想像していた。

だって僕、野球やった事ないし。

甘かった。

学童野球という世界に一歩足を踏み入れると、そこには監督がいて、コーチがいて、保護者がいて、審判がいて、練習があり、試合があり、遠征があり、グラウンド整備があり、道具の運搬がある。

そして、いつの間にか父親も戦力として計上されている。

「お父さん、野球経験あります?」

この質問には気をつけたほうがいい。

「まあ、多少……」

などと答えようものなら最後である。

僕は野球経験がないので、正直に

「全くありません!」

と答えたはずなのに、いつのまにかユニフォームを支給されて、数週間後にはグラウンドに立っていた。


だが、これが意外と面白い

誤解のないように言っておくが、嫌々やっているわけではない。

むしろ面白い。

最初は息子がちゃんとボールを捕れるか、バットに当たるか、試合に出られるか、そんなところばかり見ていた。

ところが毎週グラウンドにいると、だんだん見えるものが増えてくる。

昨日までフライから逃げていたのに、今日は捕ったりする。

キャッチボールすらまともに出来なかったのに、突然いい球を投げたりする。

バットに当たらなかったのに、いきなり外野まで飛ばす。

「おお」

と思う。

そして本人はケロッとしている。

こっちのほうが喜んでいたりする。


学童野球はエラーだらけだ

当たり前だが、小学生なので失敗する。

ゴロをトンネルする。

フライが頭を越える。

送球がとんでもない方向へ飛んでいく。

走るべきところで走らず、止まるべきところで走る。

野球という競技が、思った以上に複雑であることがよくわかる。

プロ野球を見ていると、ミスが出るとテレビに向かって好き勝手言ってしまう。

「お前何しとんねん、ボケ!」

だが実際にグラウンドへ立つと、瞬間的に判断するのは難しい。

なるほど。

プロってすごいんだな。

四十年以上生きてきて、そんな当たり前のことを河川敷で知る。

そして、値千金の活躍をした選手や、大事な場面でミスした選手が帰りの車に乗っていたりする。

これはなかなか味わい深い。


初心者の親は「成長の差分」を楽しむ

学童野球を見始めたばかりの親に、僕がひとつだけ勧めるとしたらこれだ。

上手い下手より、先週との差を見る。

初心者なんだから、当然未完成である。

エラーする。

暴投する。

空振りする。

なぜそこへ投げた、という場所へ投げる。

プロ野球ならスポーツニュースで晒されそうなプレーが、土日の河川敷では大量生産されている。

だが、それでいい。

先月できなかったことが、今月できるようになる。

学童野球はプレーだけじゃない。

挨拶、話を聞く姿勢、声の大きさ

そういうのも、毎週成長していく。

それが結構面白いのだ。

息子だけではない。

毎週見ていると、他所の子まで成長がわかる。

「あの子、いい球投げるな」

「お、ちゃんとバット振れるようになったじゃん」

「挨拶の時、声出るようになったな」

などと考えている自分に気づく。

こうなると、もう沼の入口である。


プロ野球とは別のスポーツである

僕は阪神ファンである。

当然、野球を見るときには勝ってほしい。

負ければ腹が立つ。

しかし学童野球を見ていると、勝敗だけでは説明できない味わいがある。

もちろん試合なんだから勝ったほうがいい。

子どもたちだって勝ちたい。

だが、今までアウトを取れなかったプレーでアウトが取れた。

練習していた走塁ができた。

声が出た。

初めてヒットを打った。

スコアボードだけ見れば「負け」。

でもその中に小さな勝利が大量に転がっている。

プロ野球観戦ではほとんど意識しなかった種類の感情である。


デバッグできない少年たち

僕自身、野球人ではない。

学生時代は柔道部に所属していた。

だから最初は、子どもに教える以前に自分がわからないことだらけだった。

野球は奥が深い。

ボールの投げ方ひとつ取っても、ポジションによる違いがある。

ゴロの捕り方にも理由がある。

バットの出し方にも理屈がある。

「ボールをキャッチして投げる、バットを振る」

くらいに思っていた部分が、実際には恐ろしく細分化されていることに驚く。

これは技術屋としてちょっと面白い。

動作を分解する。

問題点を探す。

改善策を試してみる。

失敗する。

修正する。

また試す。

なんだ。

やってること、システム開発とあんまり変わらんじゃないか。

ただしこちらはエラーログを吐いてくれない。

本人に聞いても、

「わかんない」

である。

極めて難易度の高いシステムである。


息子と同じものを見られる時間

少年野球を始めて、一番面白いと思っているのは、結局ここかもしれない。

息子と共通の話題ができた。

考えてみれば、父親と息子が毎週一緒になって何かをする期間なんて、それほど長くない。

今は「また土日が全部野球かよ」と思うこともある。

朝は早い。

夏は死ぬほど暑い。

冬はたぶん死ぬほど寒い。

足も腰も痛い。

帰宅すると何もしたくない。

それでも数年後、息子が中学生になって友達と遊ぶようになれば、親父と朝から河川敷へ行くことなんてなくなるのだろう。

たぶん学童野球というのは、そういう時間そのものを楽しむ遊びなのだ。

息子が大人になったとき、今日の試合結果なんて覚えていないだろう。

俺も忘れていると思う。

でも、

「あの頃、親父と毎週野球やってたな」

くらいは残るかもしれない。

それならまあ、土日を丸ごと持っていかれるのも悪くない。

来週も朝が早い。

まったく困った趣味を始めてしまったものである。

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